予科練平和記念館(ヨカレンヘイワキネンカン)

阿見が歩んだ歴史、戦争の悲惨さ、平和について改めて考えてみませんか…。

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予科練平和記念館

エリア:県南 > 稲敷郡阿見町 | ジャンル: 博物館

「予科練」とは、海軍の飛行予科練習部のことで、昭和14年に開設された航空兵の養成部隊です。館内は7つのゾーンで構成され、少年達が揺れ動く心情の中で入隊を志願し、過ごしたことを示す日記や手紙、厳しい生活や訓練の内容など、貴重な資料を保存・展示し...

予科練平和記念館
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メタボン
メタボンさん
投稿日:2019年04月30日
5

平成も終幕近くなり、いよいよ昭和は遠くなりにけりの感慨を深くする日、それでも永く記憶すべき太平洋戦争に関わる展示(土浦海軍航空隊や予科練関係)を行っているこちらへ伺いました。連休中でもあり、かなり多くの来訪者の姿が。記念館横の格納庫前には零戦二一型の実物大模型が引き出されており、また庭には人間魚雷回天の模型もあって、それぞれ来訪者が熱心に見入っていました。館内の展示は7展示室に配置されています。最初の「入隊」室には、予科練志望動機についての練習生の回答が掲げられており、少年の夢らしい「空に憧れ、搭乗員を志望したから」が最多の中、「官費で教育が受けられるから」「生活の安定を求めて」と言った、当時の貧困状況を反映してか、親に苦労をかけまい・親を扶けようという孝子的な考えも挙がっていることに胸塞がれる思いがしました(さらに後年には「国を守るため」の回答が増えた)。予科練発足当初は、航空機という当時最先端の兵器を扱うことから、知徳体いずれにも優れた人材が必要とされ、そのため試験は難関・競争率も高いということで、いわゆるエリートを集めた教育機関だったようです。そのような優れた素質を有する少年達に、さらに「起きてから寝るまで訓練」と言うような英才教育を施す(「訓練」室の展示から)のだから、平時であれば殊更に有為な人たちになったろうと思わざるを得ません。しかし、太平洋戦争の推移は知られたとおり。戦局の悪化に次いで空襲被害も拡大、昭和20年6月10日の阿見空襲(300人超死亡)で予科練習生も多く亡くなり(「窮迫」室の空襲映像から)、さらに「特攻」室の映像によれば、航空機による特攻ばかりでなく、もはや航空機とは関係ない人間魚雷回天やボート型特攻兵器震洋、潜水具を着用した人間機雷・伏龍においても、そのほぼ多くが予科練習生から成っていたそうです。予科練を卒業し飛練課程を経て戦地に赴いた約2万4千人のうち8割の約1万9千人近くが戦死したとのこと。多くの将来ある才能が途半ばで散華した無念さに思いを致さざるを得ません。なお「入隊」室で紹介されていた、昭和18年9月封切の東宝映画「決戦の大空へ」には、土浦海軍航空隊内の施設、エキストラ出演の予科練習生による訓練の様子、また土浦城界隈や土浦中(現・土浦一高)も描写されているので、関心ある人には参考になります。

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